最近、世の中には定年や老後について、その考え方や対策などについて書かれた本がたくさん出ています。いわゆる「定年本」です。
読んでいて私は共通点があることに気付きました。それは「老後の生活はこうしなくてはならない」とか「定年後はこうあるべきだ」といった論調が目立つことです。
具体的には「定年後は趣味を持つべきだ」とか「地域のつながりを大事にしなければならない」といった類いの内容です。
それらの主張は決して間違っているわけではありません。むしろその通りだと思います。さりとて、全ての人がそうあらねばならないということではないでしょう。

■定年後の楽しみは指図されず自由にできること
何を仕事にするのか人によって様々であるように、定年後の生活の仕方も人によって違うのは当然です。あるやり方がその人に合っていたとしても、それが全ての人に合うわけではありません。
会社員として定年まで勤め上げた人の中には、自分のやりたいことを我慢して仕事をしてきた人が少なくないでしょう。ようやく定年になって自由を得たのですから、定年後まで人の意見に左右されるのはできることなら御免こうむりたいものです。誰もが定年後ぐらい自分の好きにさせてほしいと思うのではないでしょうか。
かくいう私も、何冊か定年本を書いてきました。ひょっとすると、このコラム自体が「べき論」ではないのかという指摘があるかもしれません。確かに定年後について色々書いている人の多くは、自分の体験や人に聞いた意見を基にして定年後の生活を論じています。従って、成功体験から「こうあるべきだ」という結論になりがちなのです。
そのこと自体を否定するわけではないし、参考にするのも構わないと思いますが、問題なのはそれに縛られてしまうことです。固定観念にとらわれてやることだけはやめた方がいいと考えます。
2018年10月のコラム「人生100年時代 定年シニアは『家事力』を高めよう」でも述べましたが、用事をこしらえて出かけることがいいことであったとしても、家に居る方が気楽だというのであれば無理に出かける必要はありません。
あくまでも自然体で臨めばいいのです。定年後の何よりの楽しみは人に指図されることなく、自由にできるようになったということなのですから。

■早くからシニアライフのイメージを考える
では、一体なぜ多くの人がこうした「べき論」にとらわれるのでしょうか。私が考える理由は2つあります。1つ目は定年後の生活は初めての経験だということです。経験したことがないことに対しては誰でも不安な気持ちになるのは当たり前ですから、何かにすがりたくなるものです。結果として、誰かの成功体験を信じて自分も同じようにしたいと思いたくなります。
2つ目は自分がどんな生活をしたいか、何をやりたいのかを全くイメージしないまま定年を迎えてしまうことです。実際、多くの人がこのパターンに陥りがちです。
本来なら50歳を迎えた頃、遅くても50歳代の半ばぐらいから定年後をどう過ごしたいのか考えた方がいいと思います。自分なりの定年後のイメージを持っていれば、「べき論」に影響されることはありません。
定年になってから考えたのでは遅いとまではいいませんが、少しでも早くシニアライフをどうするかイメージしておいた方がより充実した生活が送れる可能性は高くなると思います。

■会社員なら定年後お金に困ることはない
定年本の中には「老後破産」といった不安をあおるような表現も見られ、居ても立ってもいられなくなる人もいるかもしれません。しかしながら、これまでも主張してきたように、定年まで勤め上げた会社員なら国民年金に加えて厚生年金ももらえるのですから、老後の生活が困窮するということはないでしょう(詳しくは「サラリーマンは『老後破産』しない」など参照)。
老後は誰にも必ずやってきますが、会社員なら少なくともお金に困ることはないはずです。会社生活から解放されて、せっかく自由の身になったのですから、あるがままの自然体で過ごせばいいのです。
「べき論」に縛られてしまうと、本来はやりたくないことでもやらざるを得ず、無理をしてしてしまいます。そんな生活は楽しくないし、満足のいくシニアライフになるはずがありません。

情報源: 自由楽しんでこそ定年生活 「べき論」には縛られない|マネー研究所|NIKKEI STYLE