ぼくが訪問診療を続ける「百歳四人組」(ぼくが勝手に命名)は、猛暑の夏もものともせず、みんな秋から冬の誕生日にひとつ歳を重ねる。
百五歳、百四歳、百二歳、百二歳になる。百四歳の患者さんは、訪問する時には薄化粧をして、部屋で座って待っていてくれた。夏の暑さの頃、化粧をやめた。翌週は、パジャマのままになった。そして、次からは寝たままの診察にかわった。
それでも診察のたびに「先生、ちょっと」と言って手を差し出す。ぼくの手を握って、「先生、大好き」と、にこっとする。「死にませんか」「笑えたら大丈夫です」、そんな会話が毎週続く。
外来の診察に九十歳を超えた男性が家族に付き添われて来た。今までの症状を細かく書いた、三枚のメモを渡された。公立病院で長く治療を受けてきてもよくならない。
「九十歳になってから急にこんなになりました。八十歳の頃にはカラオケで歌っていたんです。もう一回でいいから楽しく生きたい」と、真剣な顔で拝むようにぼくを見る。ぼくはその迫力に応えるように少し力を入れて答えた。「大変なんですね。カラオケとまではいかなくても、つい鼻唄が出る気持ちになるまでやってみましょう。ただ、気長くやりましょうよ。お力になるように考えてみます」
さあ期待に応えられるかどうか。薬だけではない、安心の心持ちに誘えるかどうか、ここからがぼくの腕のみせどころ。
「一カ月に一回、先生のところに来るのが父の楽しみなんです」と、付き添いの娘が毎回そう言う。八十半ばの患者さんは妻との関係がぎくしゃくして、落ち込んでしまった。つらくなると家の近くの太平洋を見る。そうすると胸がすーっと落ち着いてくると聞いた。ここまで一緒にやってきても、夫婦はやっぱり違う。この違いを認めたら楽になるとはわかっているのだが、とため息から診察が始まる。
いろいろ話しているうちに「またひと月やってみます」の言葉で診察が終わる。お年寄りの気持ちを聞きながら、老いとはなかなかにやっかいなのだとぼくは鍛えられている。
一方で「八十歳を初めてやっています」と、明るく宣言する患者さんがいる。「そうですか、楽しんでくださいね」と、ぼくが答える。「患者さんは先生と話をして、みんな楽しそうですね」との、新しい事務職員の感想がうれしかった。
老いやいのちの仕舞い方の話も、ぼくはあまり湿っぽくはならない。ぼくのこころの底にある楽観からなのか、やりとりを楽しんでいる。
そんなお年寄りとの一日が積み重なって、季節が回ってゆく。四万十の街では十一月には一條神社の大祭がある。この日から四万十の朝夕は冷えてくる。

情報源: 楽しんで、鍛えられて きょうも一日を重ねる:朝日新聞デジタル